見る 自然を肌で感じてみよう。
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中之条町歴史民俗資料館
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上田渓畝展
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〜 館長 唐澤定市氏挨拶より抜粋〜
企画展開催にあたって
郷土のすぐれた先人の芸術活動を紹介し、地域文化を再認識すると共に、文化の向上 を目指す「埋もれた郷土の芸術家展」は第七回目を迎えました。
第一回は面造り名人といわれた彫刻家「町田清澄(せいちょう)作品展」、第二回は日本画・俳画・俳句 などの閏秀作家である「石原清華(せいか)作品展」、第三回は洋画家「田中稲三(とうぞう)作品展」、第四回は
二度 (大正三年・昭和六年)にわたる勅題(ちょくだい)入選歌の作者として有名な「井上重徳(じゅうとく)展」、第 五回は郷土の文北人として活躍した 「萩原秋水(しゅうすい)展」を、第六回は日本画家「大塚樺山(しんざん)展」
を開催いたしました。
今回は、吾妻町川戸に住み花鳥・山水なビ多くの作品を残した日本画家上円渓畝(けいほ)を紹 介いたします。上田渓畝 (一八八四〜一九七一) は、明治一七年、旧前橋藩士上田米造(よねぞう)
の長男として生まれ、清実(きよみ)と命名されました。
絵を書くことが好きで、画家を志し、同三三年、前橋の画家森霞巌(かげん)に学び、同四一年上京して 荒木寛畝(かんぼ) (一八三一〜一九一五)の束子となり、渓畝と号して、花鳥画の研鐙に務めました。
大正九年には佐賀県唐津で開催された博覧会に出品し、名誉金牌を受賞、以後、各種の展覧会に出品して 数々の」賞を得ました。
昭和初期に中之条町伊勢町に、昭和二〇年には吾妻町川戸に移り住みました。作品は、 吾妻郡内を中心に数多く残っていますが、とくに昭和三四年に善導寺に寄進した 「威振(いしん)
八紘」と題する襖(五尺巾・四枚組) の大作や、伊勢町金幸所蔵の大屏風「老松」 はその代表作となっています。
二一世紀を迎えた今日、戦中・戦後の厳しい環境の中で 制作された渓畝の作品は、鑑賞する私たちに感動を与えてくれます。本展示会にご協力 下さいました小林豊香様はじめ多くの方々に深く御礼申し上げ、ご挨拶といたします。