町21 桃瀬の水牢(町史跡)
水牢は吾妻東部だけにある遺蹟で全国的に
も珍しいもので、戦国時代,岩櫃城主・齋
藤氏が領主の時に使ったものと推定できる
主として,年貢の取り立て等に使われたも
のといわれている。 |
町22 樋塚古墳(町史跡)
石室の大きさ奥行 550cm.幅 140cmで、国
道145号沿いにある円墳で、西北に開口
している横穴古墳である。構築は6世紀前
半と推定される。 |
町23 小川古墳群(町史跡)
8基の古墳群(昭和10年調査)があり、2基
は開口している。開発のために破壊され、
現在は4基のみとなった。何れも円墳で古
代を知る貴重なものである。 |
町24 笛吹塚古墳(町史跡)
昭和10年調査の時の沢田第1号古墳で、直
径10m.石室・羨道・玄門ともによく残さ
れている。 |
町25 小塚古墳(町史跡)
昭和10年調査の時の名久田第16号古墳で、
直径12m.高さ3mの円墳。墳丘の東南東
に横穴式石室が開口している。 |
町26 城峰城址(町史跡)
別名「新城」。真田8城のひとつ。天正10年
(1582)6月本能寺の変後,湯本三郎右衛門
(草津領主)から堪忍分として賜った。のち
蟻川氏が所領している |
町27 嵩山城址<武山城> (町史跡)
戦国時代.上杉謙信が沼田城を攻略するた
めの岩櫃城の重要な支城であった。岩櫃城
落城後,齋藤憲廣の末子城虎丸が永禄7年
から2年間在城.真田幸隆と激戦,一族自
決落城する。 |
町28 八幡城址(町史跡)
城郭は珍しい囲郭式である。天正8年尻高
氏家老塩原源太左衛門と真田氏の家臣・富
澤豊前が交戦する。後沼田街道の要害とし
て富澤豊前・金子美濃守が守備する。天正
16年真田昌幸の定めた勤番衆の「八幡山番
帳」が残されている。 |
町29 道路元標(町史跡)
大正11年(1922)群馬県の指令により郡役所
を起点として郡内各町村役場までの距離の
起点とした。郡役所設置時代を記念するも
のである。 |
町30 旧名久田発電所放水路(町史跡)
名久田発電所は明治末期の開業で、中之条
町市街地に文明開化の燈を初めて灯した。
放水路はア−チ状切り石積み構造で、額銘
に「利用厚生」と刻み,先人柳田阿三郎等
の意気込みを感じさせる貴重な近代文化遺
産である。発電所は昭和13年来襲の台風で
廃業、現在は名久田川河川敷竹薮内に石垣
遺構のみ存在する。 |
町31 石の塔古墳及び出土品(町史跡)
畑耕作中に発見された古墳で、直径18m位
の円墳と推定される。箱式棺状石室から直
刀2.刀子1.鎌1.鉄斧1.鉄鏃等が出
土する。構築は5世紀末と推定される。 |
町33 桑田城址(町史跡)
並廓式山城で、本丸は二段の腰曲輪を持ち
南下段中央に井戸跡がある。東北に低い土
居.本丸西に二つの郭・三筋の堀切がある
築城は延暦年間、加沢記にも載る戦国時代
岩櫃城の支城である。 |
町34 内山城址(町史跡)
四万温泉・澤渡温泉分岐点の国道崖上にあ
る中世の屋根式並郭城跡で、土豪成田氏,
折田将監の居城といわれ、永禄8年(1565)
真田幸隆の嶽山攻撃に対城した史実(加沢
記)がある。文化庁の城館跡報告書にも載
っている。 |
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